
1995年。
日本の通信業界に新たな競争が始まりました。
当時の携帯電話はまだ高価な存在で、端末代や通話料金も現在とは比較にならないほど高額でした。
そんな中で登場したのがPHS(Personal Handy-phone System)です。
「ピッチ」の愛称で親しまれたPHSは、
- 端末価格が比較的安い
- 通話料金が安い
- 音声品質が良い
といった特徴を武器に急速に普及しました。
特に音声品質は高く評価されており、当時の携帯電話よりも自然で聞き取りやすい通話品質を実現していました。
そしてPHS市場では、
- NTTパーソナル
- DDIポケット
- アステル
という3つの陣営が激しい競争を繰り広げます。
しかし現在、その名前を知る人は多くありません。
彼らはどこへ消えたのでしょうか。
PHSブームを支えた3つの陣営
サービス開始当初の勢力図は大きく3つでした。
NTTパーソナル
NTTグループが展開した本命キャリア。
全国展開とブランド力を武器に市場へ参入しました。
DDIポケット
DDI(現在のKDDI系)が展開。
後にAirH"やウィルコムへつながる技術路線を歩みます。
アステル
電力会社や鉄道会社などが共同出資した地域連合型キャリア。
他の2社とは異なる独特な成り立ちを持っていました。
NTTパーソナル
王者の血統を持つ本命キャリア
NTTパーソナルは、PHS開始当初に本命キャリアとして期待を集めました。
NTTブランドへの信頼は絶大で、多くの利用者を獲得します。
しかし1990年代後半になると状況が変化します。
グループ内では携帯電話事業を担うNTTドコモが急成長していました。
PHSと携帯電話の両方へ大規模投資を続けることは難しくなり、NTTグループは携帯電話事業へ経営資源を集中する方針を選択します。
その結果、1998年にNTTパーソナルの事業はNTTドコモへ譲渡されました。
その後もドコモPHSとしてサービスは継続されましたが、2008年に終了しています。
NTTパーソナルが残したもの
基地局や交換設備の多くはドコモへ引き継がれました。
ただしPHS設備そのものが3GやLTEへ直接転用されたわけではありません。
むしろ利用者基盤や運営ノウハウをドコモが吸収し、携帯電話事業へ一本化していったと考える方が実態に近いでしょう。
アステル
電力会社と鉄道会社が作った異色キャリア
アステルは非常にユニークな存在でした。
全国の電力会社や鉄道会社などが出資し、地域ごとに事業会社を運営する形でスタートします。
例えば、
- 東京電力系
- 関西電力系
- 中部電力系
など、それぞれ独立したアステル会社が存在していました。
アステル最大の弱点
地域密着という特徴はありましたが、それは同時に弱点でもありました。
ドコモやDDIポケットが全国規模で設備投資や端末開発を進める一方、アステルは地域ごとに意思決定を行う必要がありました。
そのため、
- 新サービス導入
- 端末調達
- 全国展開
で不利になっていきます。
インターネットへの挑戦
2000年には「ドット.i(ドットアイ)」を開始しました。
PHSとしては先進的なインターネット接続機能とブラウザを搭載し、携帯向けインターネットサービスへの参入を目指します。
しかし、
- iモード
- EZweb
- J-スカイ
がすでに勢力を拡大していた時期であり、市場で大きな存在感を示すことはできませんでした。
アステルが残したもの
アステルは地域ごとに順次撤退し、2006年末までに全国で公衆PHSサービスを終了しました。
設備の多くは撤去され、ブランドも消滅しています。
3大PHSキャリアの中では最も完全に歴史の中へ姿を消した存在と言えるでしょう。
DDIポケット
最後まで生き残ったPHSキャリア
DDIポケットはPHSの可能性を最後まで追求したキャリアでした。
特にデータ通信分野で強みを発揮します。
AirH"の登場
2001年に登場したAirH"は大きな転換点でした。
常時接続と定額制を打ち出し、ノートPC向けモバイル通信市場を開拓します。
現在のモバイルルーターやデータ通信定額サービスの先駆的存在として語られることも少なくありません。
ウィルコムへ
2004年、DDIポケットはウィルコムへ社名変更します。
そして2005年には「ウィルコム定額プラン」を開始。
ウィルコム同士の音声通話定額は大きな話題となりました。
DDIポケットが残したもの
DDIポケットの系譜は現在も続いています。
DDIポケット
↓
ウィルコム
↓
経営再建を経てソフトバンクグループ入り
↓
イー・アクセス(イー・モバイル)との統合によりワイモバイル誕生
↓
ソフトバンクへ吸収
現在のY!mobileブランドは、この流れの中から生まれたものです。
またPHSで使用されていた1.9GHz帯の一部は、現在sXGPとして企業向けネットワークに活用されています。
病院や工場などで利用される構内通信システムの中には、PHS時代の思想を受け継ぐものも存在します。
実はPHSが先に挑戦していたもの
現在のスマートフォンで当たり前になっているサービスの中には、PHS陣営が早くから取り組んでいたものがあります。
例えば、
- 定額通信
- 常時接続
- 音声定額
- モバイルデータ通信
などです。
もちろん現在のスマホサービスと同じではありません。
しかし通信の使い方を変える挑戦を続けていた点は、PHSの大きな功績と言えるでしょう。
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PHSとは何だったのか?“ピッチ”が実現したもう一つのモバイル通信
なぜPHSは消えたのか
最大の理由は携帯電話の急速な進化です。
3Gの普及によって、
- 広いエリア
- 高速移動への対応
- 高速データ通信
が実現されると、PHSの優位性は次第に薄れていきました。
PHSは都市部では優秀な通信方式でしたが、全国規模で利用されるモバイル通信の主役にはなれなかったのです。
まとめ
消えたのはPHSであって、その発想ではない
NTTパーソナルはドコモへ。
アステルは歴史の中へ。
DDIポケットはウィルコム、そしてワイモバイルへ。
3社の運命はそれぞれ異なりました。
しかし彼らが競い合う中で磨かれた、
- 定額という考え方
- 常時接続という発想
- モバイル通信の日常化
は、現在のスマートフォン社会にも確かに受け継がれています。
PHSは姿を消しました。
しかし、その足跡は今も日本の通信史の中に残り続けているのです。