昔は「電波」を奪い合っていた ― ポケベル・PHS・携帯による3つの争奪戦 ―

今のスマートフォンは本当に便利です。

地下鉄でも動画が見られます。

ビルの奥でもSNSが使えます。

地方へ旅行しても地図アプリが使えなくて困る場面は以前より大幅に減りました。

しかし、ポケベル・PHS・携帯電話が急速に普及した1990年代から2000年代前半は違いました。

当時は通信速度よりも、「そもそも繋がるのか」が重要だった時代です。

通信会社は限られた電波資源と設備を確保するために競争し、利用者は少しでも電波の良い場所を探していました。

今では考えられないかもしれませんが、日本のモバイル通信は「電波争奪戦」の歴史でもあったのです。

目次

争奪戦① 周波数確保競争

キャリアは限られた電波を求めていた

通信会社にとって電波は事業そのものです。

どれだけ魅力的なサービスを提供しても、使える周波数がなければ通信はできません。

そして周波数は国が管理する有限資源です。

1990年代、日本では携帯電話やPHSの契約者数が急増していました。

携帯電話契約数は1990年代後半に爆発的な伸びを見せ、通信会社は増え続ける利用者への対応を迫られます。

PHS三陣営の参入

1995年にはPHSサービスがスタートしました。

参入したのは、

  • NTTパーソナル
  • DDIポケット
  • アステル

の3陣営です。

PHSには1.9GHz帯が割り当てられ、各社は契約者獲得競争を繰り広げました。

携帯電話も容量不足との戦いだった

当時の携帯電話は主に800MHz帯を利用していました。

しかし加入者の増加によって通信容量不足が問題になり、新たな周波数帯の活用や設備増強が進められます。

現在でもプラチナバンドや5G向け周波数の割り当てはニュースになります。

実はその原点は、この時代の周波数確保競争にありました。

争奪戦② 基地局設置場所競争

PHSは「基地局の数」で勝負する通信だった

もし1995年頃の都市部を上空から見られたら、今とは違う通信インフラの姿が見えていたはずです。

特にPHS事業者は基地局の大量設置を必要としていました。

PHSは低出力通信を採用しており、携帯電話よりも狭いエリアを細かくカバーする仕組みでした。

そのため、

  • 電柱
  • ビル壁面
  • 駅施設
  • 商業施設
  • 公衆電話ボックス周辺

など、さまざまな場所へ基地局が設置されました。

通信会社にとって、

「どこに基地局を設置できるか」

は契約者数に直結する重要な課題だったのです。

地下鉄で使えることがアピールポイントだった

今では地下鉄でスマホが使えるのは当たり前です。

しかし1990年代は違いました。

地下ホームや地下街では電波が届かず、圏外になることも珍しくありません。

そのため各社は地下施設への設備整備を進め、「地下でも使える」ことを積極的に宣伝していました。

現在の感覚では当たり前ですが、当時は大きな競争ポイントだったのです。

争奪戦③ ユーザーの「バリ3」争奪戦

電波を探すのは利用者も同じだった

通信会社だけではありません。

利用者自身もまた電波と戦っていました。

バリ3は安心の証

当時の携帯電話にはアンテナ表示がありました。

アンテナ3本。

通称「バリ3」。

これが安心の証でした。

アンテナが減ると不安になり、圏外になると電話もメールも使えません。

今なら通信速度が遅いことに不満を感じますが、当時の利用者が気にしていたのは、

「今いる場所で繋がるかどうか」だったのです。

窓際への大移動

居酒屋。

カラオケボックス。

大学の講義室。

ビルの会議室。

こうした場所では奥へ行くほど電波が弱くなることがありました。

着信を待つ人は窓際へ。

通話したい人は廊下へ。

携帯電話を高く掲げる人もいました。

現在では少し笑ってしまうような光景ですが、当時は誰もが真剣でした。

アンテナを伸ばす時代

1990年代の携帯電話には伸縮式アンテナを備えた機種が多く存在しました。

少しでも良い受信状態を求めて、

  • アンテナを伸ばす
  • 窓際へ移動する
  • 携帯電話を高く掲げる

といった行動も日常的に見られました。

また、アンテナ部分に取り付ける発光アクセサリーが流行したのも、この時代ならではです。

ポケベルの「遅配」

ポケベル全盛期には別の意味で通信混雑も発生していました。

昼休みや放課後になると、公衆電話には長い列ができます。

利用者が一斉にメッセージを送信した結果、交換設備やメッセージ処理設備が混雑し、メッセージが届くまでに時間がかかる「遅配」が発生することもありました。

現在のSNS世代から見ると信じられない話ですが、当時の通信インフラの限界を象徴する出来事のひとつでした。

なぜ今は電波争奪戦を感じなくなったのか

では、なぜ今は昔のような電波争奪戦を感じなくなったのでしょうか。

理由は通信技術とインフラの進化です。

アナログ携帯電話からデジタル化が進み、

  • 3G
  • 4G LTE
  • 5G

へと発展しました。

同じ周波数幅でも送れる情報量は飛躍的に増えています。

さらに通信会社は20年以上にわたり基地局整備を続けてきました。

現在では、

  • 地下鉄
  • 地下街
  • 高層ビル
  • 商業施設
  • 地方エリア

まで広範囲がカバーされています。

スマートフォン側も複数アンテナや高度な通信技術を搭載し、昔とは比較にならないほど効率よく電波を利用できるようになりました。

まとめ

ポケベル・PHS・携帯電話。

これらが急速に普及した1990年代から2000年代前半は、まさに「電波を奪い合う時代」でした。

通信会社は周波数を求めました。

基地局を設置できる場所を探しました。

利用者は少しでも電波の良い場所へ移動しました。

今では通信速度や料金が話題になりますが、当時の最大の価値はもっとシンプルです。

「ちゃんと繋がること」でした。

バリ3に安心し、圏外に絶望していた時代。

その泥臭い競争の積み重ねが、現在の快適なスマートフォン環境を支えているのです。

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